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December 2008

December 31, 2008

星を見上げる

ああ、すばるよ。


地元駅前で待ち合わせて飲み屋に向かう途中の広場に、見慣れないバズーカみたいなものがあった。なんだろう、大砲?バズーカ?とワイワイ喋りながら通過しようとすると、「望遠鏡です。見ていきませんか?」とそこにいた理系男子みたいな人に声をかけられた。

何が見えるんですか?あの看板の上のほうにあるオリオン座と、すばるが見えます。すばる?すばる、プレアデス星団です、もやもやと6個くらい。ああ、すごく見える日だと13個くらい見えるやつですか?13個見えるんですか、目がいいですね、おーい、彼女13個見えるって!


というわけで、いままで案外知らなかったが、あの13個くらいもやもや見えた記憶があるやつ、あれがすばるというやつなのだそうだ。しし座の中に含まれるらしい。その日もやもやと見たけれど、ほんの数個しか見えなかった。視力が落ちたものだ(駅前だからか)。バズーカをのぞくとたくさんの星、白い発行体。


天体観測には少し憧れがある。
でも、バズーカは視野が限定されすぎていて、それよりも空気がきれいなときに空を見上げて、1,2,3,4・・・うーん、8個、とか言っているほうがわりと好きかもしれない。


理系男子が別のバズーカをのぞき、「あ、地球が回っちゃいましたね」と言って何かを調節していた。
そのセリフには座布団一枚。

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December 25, 2008

必要なことは何か?

いま自分に必要なものは何だろうか?休息?睡眠?労働?モチベーション?人間関係?未来の展望?


いつもいつもそんなことを問い続けている気がする。普通はそうではないのだろうか?みなさんは問いかけないのか?

自分の状態を把握し、必要なものを知ろうとすることはよいことだと思っている。時折考えすぎのように見えるかもしれないが、なにも考えないよりは、考えてもわからなかった、のほうが良いような気がする。まあ好みの問題だ。


この時期になると一年を総括したり、次の一年の目標を立てたりする。その割には社会人の平日はしつこい。テレビは特番ばかりだし、世の中は年末ムードだし、社会人もさっさと冬休みになれ、と思う今日このごろである。


この一年で個人的にいろんな状態が変わった。いろいろな距離感が変わった。遠くなったものがいくつもある。
そういうものを取り戻す、というよりは、次の段階を考えないといけない。そもそも変わりきってはいない。我流ではあるが、少しずつ、考えながら、変化するほうが、なにも考えないで変化するよりはよい。考えながら次へいこう。


遠くなった距離感を残念に思いつつも、しかしもちろん何一つ手放したりはしないように心掛ける。
そのいっぽうで、まだ試していないことがあったら試してみよう。何かを引き寄せて近くなろう。
実に私たち人間というやつは、傲慢で貪欲でわがままである。

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December 24, 2008

電車到着前から次の場面

電車が駅に到着する少し前に、電車を降りる人にはその兆候が現れる。荷物を膝の上に持ち直し、背もたれに預けていた背を延ばす。
そして携帯を取り出す。にちにちにちにちメールを打つ。


電車を降りてホームを歩く人の多くが携帯でメールを打っている。すでに移動の場面は終わり、友人、あるいは家族と会う場面になっている。


いまどこ?
ついたよー
迎えに来て
コンビニに寄って帰るね


場面はすでに、彼、彼女が電車の座席で背をのばしたときに変わっているのだ。

年末だからか、やれやれ、現代人は忙しいはずである。

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December 23, 2008

プラダの靴がほしいの

すごい歌い出しだなあ。

アベレージを聞いていたら懐かしい曲が流れてきた。ああ、これもクリスマスソングか。

CDではうまそうだったのに、ライブにいったら下手だった、という歌手はいる。収録の番組だといいのに、ミュージックステーションではいまいちだった、ということもある。
オザケンは素晴らしいことに、CDでもうまくない。声がきれいなわけでもない。しかしながらずいぶん流行したものである。ポップでかわいく、大衆受けがよい楽曲には、へたうま(というのか?)な声がよかったのかもしれない。

かように、アーティスティックな分野では、秀でていることだけが評価されるわけではないものだ。

プラダの靴がほしいの。

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December 21, 2008

誉める上司

友人の結婚式に行った。

大人になると、他人の人生がうらやましくなったりするものだろう。結婚式を見て、「私も結婚したい」と女性は思う、というのが一般論である。うむうむ、結婚とは良いものであるからな、きっと。
で、配偶者の所得とか自分の所得とか、他人の幸せっぷりとか、いろんなものを比較しては他人をうらやむような、どろどろとした感情にはまり始めるのも、このアラウンド30な年齢付近であろう。

私は恋愛感情とか金銭感覚には疎いので、所得や配偶者の愛情といった関連の昼ドラ的な感情にははまりにくい。
しかし今回、うらやましいなあと思った。

上司である。

上司(えらいひと)の挨拶みたいなやつだ。普通、えらいひとの挨拶といえば、その会社や今の仕事の自慢、アピール、宣伝が八割、新郎新婦についての言葉は二割程度にとどまるものだろう。それはそれで必死な感じがして面白いと思う。

しかしまあ、なんとまあ、びっくりするほど、新婦を誉めるえらいひとを見た。手放しで誉めるんだもんなあ、驚きだ。

会社に入ってからいろんなところで、人は人をもっと誉めればいいのに、と私はぐちぐち言っている。理系男子だからか、まったくもって、人は人を誉めない。誉めないし誉められないのが当たり前のような感がある。
ようやく私もそういう感じに影響され、誉めないし誉められないのが当たり前のような気がしてきてしまった。

しかし、いるところにはいるじゃないか!誉めるえらいひとっていうやつは!

もちろん、分野が違う。まったくちがう。そもそも会社という組織ではない。しかし同じことではないか。同じように、たいして近い距離ではない上司であっても、同じように、年齢差がだいぶあるおじさんであっても、誉める人は誉めるのではないか。

じゃあ、誉めない人はいったいなぜ手放しで人を誉めない?局所的な文化だろうか?

思えば私は小さい頃から要所要所でちやほやされてきたものである。誉めてくれる人は誉めてくれるのだ。誉めることでその人に何かメリットがあるわけではないだろう。しかし誉めてくれるのだ。別に私に限らず、いろんな人が誉められてきたはずだ。人は日常的に誉められて当たり前なくらいなのだ。
本当に、いったいなぜ、人は人を誉めないのだろう?誉めるくらいタダだし、特にデメリットもなくリスクもない、簡単なことなのに。まったく、私には理解ができない。

人を誉めるということは、「おだてる」とか「お世辞を言う」とかと同じことだろうか?私はそうは思わない。拡大解釈はお世辞のひとつになるかもしれないが、基本的には、すごいことをすごいと言う、優れていることを優れていると言う、重要であることを重要であると言う、それだけである。主観的でなくても良い。客観的に優れてさえいればそう言えば良い。自分の主観的な好き嫌いにかかわらず、人を誉めるということは可能である。


ここ数年間続くフラストレーションのひとつは、誉められないことである。
それは能力的に私がいたらないからか?成果がないからか?そうではない。能力がある人も成果がある人も誉められているようには見えない。誉めるとは、能力の大小、成果の有無にかかわらない行動である。


そういうわけで、友人が人前でえらいひとに手放しに誉められているのは、私には若干うらやましかった。


ここまで欲しいものがわかっていて、しかも誰彼かまわず他人や上司にその不満を口にしているのに、まったくもって、得られないものだ。ちぇ。
あーあ、私もちやほやされたいぜ。

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December 19, 2008

やる気を奪われる言葉

モチベーションを上げる方法はやはりわからないが、一時的ではなく連続的に上げるには、やはり大きな達成感とかを求めるのは違うような気がしている。しかし成功体験は必要である。

ああ、そうか、成功体験がないのか。


ところで、やる気をなくす方法であれば、わりと明確だ。最近も出会ってやられてしまったが、私はこの言葉で悲しむ。


やらなくていいですよ。


仕事に意味があるかとか確実に効果を打ち落とせるかとか、そういう点に私は疎い。疎いけどとりあえず何かやってみないと、と意気込むところにこの言葉は効いてくる。


大人が言う「経験」は一体どんな経験だ?無駄にならない経験ってなんだろう?
繋がらない勉強には意味がないだろうか?工数をさくべきではない?

と、考えると、もう何もできなくなってしまう。


気にするな、と私は私に言う。
人の言うことをすんなり聞いてはいけない。それが経験から学んだことである。

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December 15, 2008

結婚式的なシチュエーション

あまり結婚式には詳しくないが、知らない他人同士が、新郎(または新婦)を介してたまたま同一テーブルに配されて知り合うというシチュエーションがある。

それぞれ住む場所も異なり、仕事も異なり、微妙に年齢も、性別も異なっていたりする。新郎と出会った時期、過ごした時間もそれぞれ異なり、見える角度も少しずつちがう。

そんなふうにひとつのキーワードだけでつながった人々が一堂に会し、ほんのひとときだけ同じ時間を過ごすというシチュエーションは、なんだかとても面白い。興味深い。
ミステリーのネタになりそうである。

と思ったら、まさに今期のドラマのひとつ、スキャンダルがそうだった。新婦まわりの女たちを描いている。見てなかったけど。

そうやって同席した知らない人たちの話やその人たち自身のひととなりから多面的なヒントをいくつか得て、それらを用いて新郎の虚像を作り上げるのがけっこう楽しい。ひとりひとりのエピソードから、新郎に関するキーワードを拾い出し、イメージを重ねて投影し、ぼんやりしていた影を少しずつ濃くしていく。


実は、旅先で出会ってその場限りで仲良くなる人間関係がけっこう好きである。
結婚式同席仲間には、そうゆう感じもあるかもしれない。非日常の中の出会い、アウェイどうしの一時的な共感と仲間意識、弱いつながり、じゃあまた縁があったらいつか、と別れる感じ。

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December 09, 2008

オタク=都会派

秋葉原とか、深夜アニメとか、声優のCDとか、テレビ東京とか。

オタク文化はある程度都会で自適な生活を送っていないとできないんじゃなかろうか。ネットがあればどんなに田舎でも大丈夫なものだろうか。ネットに疎い私にはわからない。

そんでやっぱりメイドさんが大通りを普通に闊歩している秋葉原は聖地で、都会の素晴らしい一面である。毎日がエブリデイお祭りみたいな都会の大通り。田舎ではお祭りのときだけメイドさんが現れる。
最近ではオタクの地位はだいぶ高いようだが、それにしたって都会に限定されると思う。田舎ではあくまで遊び場はジャスコで、超ローカルな人間関係の中で半世紀が過ぎていく。そういう世界もあるのだ。
そしてそういう世界では今もまだオタクの地位は低く、メジャになってきたマイナー文化は局所的にはやはりマイナーのままだ。


私たちの世界はパラレルだ。
私たちはそれぞれに見える世界しか見えないし知りえないけれど、パラレルにまったく別の世界が存在する。
それはほんのわずか隣町、あるいはアパートの隣の部屋にあるのかもしれないパラレルワールドで、そこには私たちの知らない常識があり、歴史があり、価値観がある。

たくさんのパラレルワールドを知ることが、優しさだろうか?経験だろうか?
でもパラレルワールドを知らないことが、完全さを作るかもしれない。

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December 06, 2008

読了:魔王

伊坂幸太郎「魔王」。


すげえなあ、伊坂。と、ここでも思った。なんだよこれ、と。
伊坂の良さは違和感にある。この人の作品はいつも何か変なのだ。
設定の中で超能力とか喋るかかしとか、ファンタジーが入っているからだろうか、いや、決してそうではない。そうではなくて、人物の描き方が独特なのである。

前から思っていたのだが、伊坂作品には確実な悪が存在する。最近のジブリには見られない傾向だ。ジブリ関係ないけど。

よく、善悪はごっちゃになる。悪いことについても、仕方なく悪、とか、かわいげのある悪、とか、社会的背景のための必要悪、といった描かれ方で、灰色のキャラクターがそれぞれのイデオロギーをかかえて跋扈する物語は多い。
しかし伊坂作品ではわりと悪が悪である。それに対し、主人公は善かというとそうでもなく、灰色であることが多い。暴力的な悪に対し、灰色の個人はさてどんなふうにふるまおうか、というような描き方をする。
あまりにも悪が暴力的なので、読んでいるほうとしてはちょっと気味が悪いくらい。伊坂はファンタジーだけれど、ちょっとホラーなのだ。小気味よさとラストのうまくまとめた感がファンタジーにしているだけで、ラストにちょっぴりバッドエンド感を加えれば即ホラーになる。

「魔王」では、悪という悪、とは描かれない。ただ、気味の悪いものとして、若くて頭がよくて扇動的な政治家や、彼に賛同し一体となっていく日本の世間の雰囲気が描かれる。

政治がどうの、という話ではたぶんなく、暴力的に圧倒的に気味悪いものに対する主人公の「対決」のしかたの話であり、やっぱりちょっとホラーだ。
その対決のしかたについて、「魔王」と「呼吸」での兄弟の対比がすばらしい。生きることは考えることだと信じて自分に「考えろ、考えろ」と言う兄に対して、直感型の弟は「考えない、考えない」という。また「魔王」で一人称が兄だったのに対して、「呼吸」一人称は弟ではなく彼女(妻か)である。一人称が彼女であるにもかかわらず弟が主人公に見えるからおもしろい。考えない主人公を一人称にすることはできない、と同時に、考えない人間というのは理にかなわないので存在だけでホラーだ、ということもわかる。

そういうわけで、実に伊坂らしく、構成がおもしろい。でもなあ、続編ありきのヒキのエンディングは悔しい感じがするなあ。ちぇ、次読むしかないじゃんか。

ところで、この作品は時代がどうの、小泉政権より前のはずだけど世相を反映しているとかなんとか、解説で小泉純一郎を引き合いに出している。読んでいる間はまったく忘れていたけど、そういえばコイズミ、いたねえ。

だいぶ前だけれどコイズミのころ、世間の雰囲気を気持ち悪く感じていたことを思い出した。

たまに、テレビのニュースを見てもネットのニュースを見ても、違和感を感じることがある。ああ、どの段階で「誰かの意志」が入っているんだろう、と悲しくなる。メディアを通じての報道というのはこういうことなのか、と、残念になり気分が悪くなる。
コイズミのときは顕著に感じられたが、そうでないときも、基本的にはいつも、そういう仕組みの中で私たちは生活している。情報は必ずどこかで人の手を介している。気にせず忘れてしまえるときもあるが、基本的にはいつも同じ仕組みだ。


できれば気持ち悪さを忘れてしまえる時間が長く続けばいいな、とか、不謹慎にも私は思う。
政界の大物がホステスとの関係を暴露されたり、スーパーを視察した後に高級なバーに行ったことを非難されたり、そういうことがいつでもトップニュースであればいいな、と思う。
政治家はおじさんばかりでかっこよくなくてあまり好みじゃないし言ってることよくわかんないし、正直政治なんて興味ないしー。と、言っていられるような生活が長く続けばいいと、不謹慎に願っている。

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December 05, 2008

軍艦、軍艦、ハワイ

帰りの電車の中で、県をまたがって通学している女子高生たちが話している声が聞こえた。

「軍艦、朝鮮、ハワイのどれかを言うの」
「うん、わかった、せーの」
「軍艦、軍艦、ハワイ」
「ハワイ、ハワイ、朝鮮」

平成生まれだろうに、なんちゅう単語を言っているんだ!
笑ってしまいそうになった。いかんいかん。

グー、チョキ、パーをリズムをとりながら同時に出して、同じになったらそのタームでリズムを歌っていたほうが負け、というやつだ。
別名で、グリン、チョリン、パリンなどと言ってリズムをとることもある。私にはそのほうがなじみがある。

グー、チョキ、パーを、軍艦、朝鮮、ハワイと呼ぶなんて。
すごいセンスだ。
平成生まれの女子高生が二人で電車の中でそうやっていると、すごくシュールだ。


その一方で、駅前のコンビニではギャルが連れの友人とおぼしき人にこう言っていた。
「買うものもう決めた系?」

決めた系?
地方都市でもリアルに使ってんじゃん。「今なにしてる系?」の用法の「系」。
あーあたしってばおばさん。

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December 04, 2008

意訳、解釈、盲目

人当たり良く、きっとこの人はこういうことを言いたいんだろうな、きっとこの文章はこういうことを書いているんだろうな、と文脈を読み取り勝手に補充し、意訳、解釈することがある。

しかしそうやって空白を自分の想像でマイルドに塗りつぶすと、ときどき誤りに気付かないという害悪を引き起こす。
会話のように、その場で流れて行ってしまうものに対しては、自動的に咀嚼し意訳してしまわないで、違和感、異物感に気付けるような能力が必要である。
どうすればそういう能力が身に付くのかはわからないが。

さもないと、盲目的に扇動される一方であろう。


逆に言うと、扇動するということは、違和感を持たれないということである。
あたかも常識であるかのように、当然であるかのように、自信を持った言い回し、態度、わかりやすさ。
優しさだけではうさんくさく、厳しさだけでは煙たがられる。そのちょうどよく心地よい、バランス。
扇動とは、安心感を与えることに近いのだろう。


これはまるで、優秀な(とされている)理想的リーダーのようだな。

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December 03, 2008

知的な世間話がない

不満不満不満不満不満。

あー、なにが不満なんだろう。とにかく不満だ。ありえない。
誰がやっても同じなら、それに誰も自分を特別に必要としていないなら、別に仕事とかやめてもよくないかと思う。
仕事をやめる理由の多くはたぶん、そこなのではないだろうか。
とりあえず転職の理由にはなる。立地条件にさえ拘束されてなくて、もしもここが都会なら。ここに職を持ちつづける意味は何かあるだろうか?

いったい何をやっていれば、何になったら、どんなふうに生活したら、不満ではなくなるのかわからないけれど。何になったって不満だと思うけど。

一日10時間くらいを今の場所で過ごすのは、なんだかもったいない気がしてきてしまう。みんなよく淡々と過ごしているなあと思う。なんかメリットあるんだっけ?あ、給料もらえるのか。

前の場所と落差大きすぎるからだとは思う。会社ってこういうところだ、と、ここに最初からいる人は言うのかもしれない。どんな場所であれ、大人には諦観がある。もう少し時間がたてば私も諦観に侵食されるかもしれない(いや無理)。


具体的に何をしたら改善されるかわからない。
が、足りないものは、尊敬できる人、おもしろい人、おもしろい思想、会話。

同じ方向を誰かに見てもらいたい、というのはわがままなのだろうか。一人で自己完結してたってつまらなくないか?一人で目標を決めて一人で残業してがんばって遂行して一人で自分自身を褒める、なんて、つまらなくないか?そう思うのはおかしいか?なぜみんな淡々と自己完結的に生活できるんだ?

せめて、全然関係ないことでいいから、知的な世間話がしたい。
悪意のない、知的な世間話がしたい。

それが、案外、本当は得難いんだよなあ。ああ。

ーー追記ーー
つまり不満があるのは仕事にではないのだ。
環境とか人とか雰囲気そういうところだろう。
給料のためだけで働くなら残業はしたくない。
それ以外にプラスアルファなにかを得たい、そうでないと一日10時間ほど拘束される意味がないと思うのだろう。
刺激、新しい情報、未知のなにか、なにかおもしろいもの。

この世界のどこかにまだなにかがある、だれかがいる、きっとおもしろい、いつだってずっとそう思っていたいのだ。

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December 02, 2008

日本海側はあたたかい

この立地条件にいると日本の寒暖に対するイメージが変わる。

日本海側は暖かいらしいのだ。


「日本海側は寒いんでしょうねえ」
「雪が降るくらいあったかいんじゃない?」
「え、そうなのかなあ・・・」

という会話をしばしばする。

日本海側ということでいっしょくたにしてはいけないが、わりと西日本にある鳥取の人と電話で天気の話をした。
「そちらはもう寒いんでしょう」と言われた。
いわく、「ちょっとした雪がずっととけないで残っているでしょう、それには驚きますよ。こちらでは雪が降ると言っても、ずっと寒いわけじゃないですから。天気がよくて暖かい日があればとけちゃうんですよ」
天気の話だけでずいぶん長く世間話ができるような今日この頃だ。


やれやれ。

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