友人の結婚式に行った。
大人になると、他人の人生がうらやましくなったりするものだろう。結婚式を見て、「私も結婚したい」と女性は思う、というのが一般論である。うむうむ、結婚とは良いものであるからな、きっと。
で、配偶者の所得とか自分の所得とか、他人の幸せっぷりとか、いろんなものを比較しては他人をうらやむような、どろどろとした感情にはまり始めるのも、このアラウンド30な年齢付近であろう。
私は恋愛感情とか金銭感覚には疎いので、所得や配偶者の愛情といった関連の昼ドラ的な感情にははまりにくい。
しかし今回、うらやましいなあと思った。
上司である。
上司(えらいひと)の挨拶みたいなやつだ。普通、えらいひとの挨拶といえば、その会社や今の仕事の自慢、アピール、宣伝が八割、新郎新婦についての言葉は二割程度にとどまるものだろう。それはそれで必死な感じがして面白いと思う。
しかしまあ、なんとまあ、びっくりするほど、新婦を誉めるえらいひとを見た。手放しで誉めるんだもんなあ、驚きだ。
会社に入ってからいろんなところで、人は人をもっと誉めればいいのに、と私はぐちぐち言っている。理系男子だからか、まったくもって、人は人を誉めない。誉めないし誉められないのが当たり前のような感がある。
ようやく私もそういう感じに影響され、誉めないし誉められないのが当たり前のような気がしてきてしまった。
しかし、いるところにはいるじゃないか!誉めるえらいひとっていうやつは!
もちろん、分野が違う。まったくちがう。そもそも会社という組織ではない。しかし同じことではないか。同じように、たいして近い距離ではない上司であっても、同じように、年齢差がだいぶあるおじさんであっても、誉める人は誉めるのではないか。
じゃあ、誉めない人はいったいなぜ手放しで人を誉めない?局所的な文化だろうか?
思えば私は小さい頃から要所要所でちやほやされてきたものである。誉めてくれる人は誉めてくれるのだ。誉めることでその人に何かメリットがあるわけではないだろう。しかし誉めてくれるのだ。別に私に限らず、いろんな人が誉められてきたはずだ。人は日常的に誉められて当たり前なくらいなのだ。
本当に、いったいなぜ、人は人を誉めないのだろう?誉めるくらいタダだし、特にデメリットもなくリスクもない、簡単なことなのに。まったく、私には理解ができない。
人を誉めるということは、「おだてる」とか「お世辞を言う」とかと同じことだろうか?私はそうは思わない。拡大解釈はお世辞のひとつになるかもしれないが、基本的には、すごいことをすごいと言う、優れていることを優れていると言う、重要であることを重要であると言う、それだけである。主観的でなくても良い。客観的に優れてさえいればそう言えば良い。自分の主観的な好き嫌いにかかわらず、人を誉めるということは可能である。
ここ数年間続くフラストレーションのひとつは、誉められないことである。
それは能力的に私がいたらないからか?成果がないからか?そうではない。能力がある人も成果がある人も誉められているようには見えない。誉めるとは、能力の大小、成果の有無にかかわらない行動である。
そういうわけで、友人が人前でえらいひとに手放しに誉められているのは、私には若干うらやましかった。
ここまで欲しいものがわかっていて、しかも誰彼かまわず他人や上司にその不満を口にしているのに、まったくもって、得られないものだ。ちぇ。
あーあ、私もちやほやされたいぜ。