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January 2009

January 28, 2009

テンポラリーでもどり

先輩の会議に(関係ないけど)同行して、元職場をちょっと訪れた。
いやあ、なつかし。

てゆうかホームだ!3メートル歩くごとに誰かと目が合って「おお、久し振り!」で立ち話10分、「じゃあ」と言ってまた歩くとまた「あら、どうしたの!」で立ち話10分、それが何度もリピートで続く感じだ。いやあ、ありがたいねえ。というか、やっぱ変な職場!変な人多いし!
職場の一角にたどり着く前に、社食で一緒だった庶務の女性やマニュアルの派遣さんにも声をかけられ、後輩にも発見される。職場一角でさんざん人の仕事を邪魔してもいやな顔されない。課長や部長まで私に声をかける。フランクなところだなあ。つーか18時ごろ休憩室に人が多いなあ。

で、ポメラを自慢してまわった。たくさんくいつかれてうれしー。若干否定もされたけど、おおむね(ある意味)好評だ。自分はいらないけど、変なもの見た、的な。ほしいかどうかは別にしても、とりあえず見て触りたくなる、という共通の認識!これぞ常識。今の職場だと必要のないものは特に見たくも触りたくも思わないのか、くいつかない人が多いので。

うーん、なんだろう?このちがい?
別に仕事の話なんかしないんだ。次の仮面ライダーは本だとか、アメリカ土産に英語版コミックだとか、Type Pだとか、執事が流行だとか、瑛太だとか。
やっぱ共通認識、常識がちがう。これは異国ってことだねえ。

元職場では、普通に生活していたら会えない人と会える、ということが仕事の「プラスアルファ」なモチベーションだと思っていた。今もやはり、元職場についてはそう思う。

うーん、やっぱり私は、おもしろい人と会ってわいわいすることが糧なのかもなあ。糧だよなあ。そういう生き方に変えれないだろうか。

でも、今日はレアケース。

「またおいで」

それで充分。
いつかわからないけど、またいつか。

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January 26, 2009

ノーベンバー

帰宅するとファンヒータは三度だと言っている。まだまし。

こんな季節は、堂島孝平のノーベンバーを思い出す(11月でもないのにな!)。
「部屋中を暖めて君を待ってる~♪」っていうやつ。(多くの人は知らないよね)

ああ、切実に、部屋中を暖められていてほしい。
そういう仕組みが必要なんじゃないだろうか。

ところでKinkiのSecret Codeは堂島孝平楽団が演奏しているようだ。おお、ちゃんと仕事しているなあ!ちょっと検索してみたら、知らない間にTV露出もしているみたいだ。健在である!
伊藤俊吾もうまく仕事をしていっているといいなあ、と、なんとなくなつかしく思った。

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婚活

残念ながら婚活はしない派だが、流行っているらしい。どこで流行っているのだろう?都会だけ?

こうも男子校のような技術系の場所にいると、周りの男性たちはどうやって彼女と出会ったのか不思議に思うことがある。やっぱり多いのは合コン、友達の紹介とかでしょうか。もともと地元の友達が、時を経てつきあいだすこともあるようです。へええ。

合コンのようなアグレッシブな場所は苦手なんじゃないかと思う理系クンたちは、女子慣れはしていないにせよ、マニアックな趣味があるにせよ、とうてい理解に苦しむ言動があるにせよ、まあそういういろいろな問題点に目をつぶれば、性格は悪くないし、固定収入もあるし、そこそこ普通に、いい人が多いのではないかと思う。

ちなみに洋服屋さんとかで店員さん(女)と話し込んだりすると、「明日飲み会なんですよー」「いいですねー」「ええー、でも、男ばっかりですよー」「ええ!?いきたーい」みたいな感じになる。店員さんも出会いがなさそうな職業だ。

こうも働き口が別れてしまい、日常に相応の出会いがない場合、たしかに婚活はあってしかるべきだ。いいひとは世の中にたくさんいる。分別されているため、こちら側からはあちら側が見えないだけだ。もっと混ざればよい。

まあだからといって私は誰かを紹介したりはしませんが。紹介向きの当たり障りない知人の少ないこと!

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January 24, 2009

ポメラのある生活

使う用事がない日でもなんとなく鞄にいれていても、全然重量が気になりません。
ああ、軽いって、多機能よりもすばらしい。私にとっては。

でも、あまり知られていないようです。周りの人に、ポメラ知ってる?って聞いても、微妙な反応。
まあ、ねえ。

それ、どういうふうに使うんですか?と言われることもある。
どういうふうに使ってみようか?


・合コンに持って行って、女の子に「ステキー」「ハイテクー」と言われて鼻高々

・Type Pに対抗してジーンズの尻ポケットに入れ、三歩進むごとに出てきてしまうのをぐいっと押し込む

・卓球したいのにラケットがなかったときに使う

・封筒から取り出す

・胸の内ポケットに入れていて、銃で撃たれた時に「おまえのおかげで助かった」と言って取り出す


実に有用だ。

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January 19, 2009

ほんの100キロ

ほんの100km以内の程度で、ずいぶん風景が変わる。

高速に乗り始めた時は、わずかに雨が降り、遠くに青空が見えていた。

山を越えたころ、一面の雪景色になった。こちらの地方では昨日のあいだにだいぶ降ったのだろう。湖もところどころ凍っているようだった。

さらに、県境を越えたころ、ずいぶん日差しが明るく、暖かくなった。山の地肌には雪が残るものの、木々には雪が積もっていない。青い空が目前に大きく広がり、今日の昼間の間に雪は溶けてなくなってしまうのではないかと思った。

盆地へと下りる下り坂にさしかかったころ、急に霧に包まれた。道の先がかすんで見えなくなり、前の車の影を追って進む。スモークをたいたようにもんわりとした白いものがびゅんびゅんと車の周りを過ぎるのがわかった。温泉の湯気に包まれたみたい。そうか、ここ一体が温泉なのかも!

霧が明けると遠くに富士山の青い影が見えた。こちらの盆地では春のような気候。日差しが暖かくて頭がぼんやりするので暖房のスイッチを切った。もうすっかり明るくなった空はきれいに真っ青で、もんやりとした湯気は向こうの山の中腹から下のほうにかけて広がっていた。

午前半休のドライブ。

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January 18, 2009

coffee with pomera

ポメラげとしました。

はぅあー、かわいい。テキストを書くしか能がない、シンプルな機械。単色な画面は逆に最近見慣れない感じだ。
なんといっても文庫本サイズ、カバンの中に何気なく持っていてもそんなに気にならない重量、気にしないでいいバッテリー(単四乾電池二個)。

コーヒー屋の小さなテーブルで広げても全然ヨユー。電車の中で膝の上でもちゃんとキーボードをたたける。これはしばらくお気に入りになりそうだ。

それにしても持ち歩く機械が増えたなぁ、と一瞬思った。
しかし本当に増えただろうか。

高校時代や大学時代(なんと10年前だ!)、よく図書館や学校で勉強をした。そのころ持ち歩いていた機械は、ポータブル音楽プレイヤと電子辞書とポケットベルだった。
今は勉強の有無にかかわらず、iPodとポメラと携帯電話を持ち歩くわけである(たまにデジカメも)。そんなにすごく増えたわけではない、かな。そう思うえば、無理に音楽もカメラもメモもすべて携帯電話に一元化しなくてもいいのかもしれない。

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January 11, 2009

素敵なモデルを外部に探す

結局自分探しを一人でうじうじと内面との対話によって行うのには無理がある。自分の中というのは、知っているものしか知らない。イメージの力は巨大だが、イメージの基本は模倣である。見たことのない、知らない、なかなか良いモデルを、想像だけで完全に構築するのは不可能だ。


そういうわけで、必要なのはやはり、志向性が同じとまではいかなくとも、そこそこ肯定でき、共鳴できる程度の近さを持った志向性の人間を外部に持つことだろう。


この、外部人間の取得方法について、人々には常にストレスがある。共感できるキャラクターというのは、コンビニでは当然売っていないし、なんと大都会の伊勢丹や家電量販店でも売っていないのだ。

それを部分的に打破するのがWebなのかもしれない。そういう点で、ある種のカテゴリにおいて、Webの力は偉大かもしれない。経験的にはわからないが、Webにはそういう一面があり、それは素晴らしいことである。


私たちには情報が不足している。
不足しているのはどんな情報かというと、私たちの中にはない、その存在すらも知らない、だから検索して調べて能動的に得ることもできない、そういう情報だ。


未知の、まだ見たことのない、something niceなもの。
たしかに、きっと、どこかにあるだろうに、そのかけらさえも見えなくて、まったくもって、誰にも伝えられない、検索できない、探しに行けないもの。


大人がそういうふうに思っているからといって、それは単なるわがまま、モラトリアムな人間のつぶやきにすぎない。
しかしたとえば中学生がそんなふうにストレスを感じていたら、私たちはなにをするだろうか?なにができるだろうか?


彼らに見せてみたい世界があるか?知らせてみたい情報があるか?私たちの手に今はになくても、きっとどこかにある、ちょっと待っててくれ、すぐに持ってくるから、と、言ってみようか?

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January 10, 2009

日本フィギュア団体

起きたらもう午後で、とりあえずテレビでもながめようと番組表を見て、特に興味をひかれるものもないなぁ、相棒も終わっちゃったみたいだし、と、ふと目についた「日本フィギュア団体」にチャンネルを切り換えた。どんなマニアックな人たちで、どんな精巧な人形が出てくるだろう、これはちょっとおもしろそうかもしれない、と思った。

フィギュアスケートだった・・・。

ああ、言われてみれば、そうだよね、確かに。5人チームくらいでアマチュアのフィギュア職人が精巧な人形を作る団体戦の全国大会だと思ったんだけど、そんなはずないよね。

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いまさらまた大合奏バンドブラザーズ

こういう音楽系の軽いゲームは作業と作業のあいだの時間、自分の機嫌が悪い時に、機嫌をなおして次に行くまでの準備運動として使用するのにちょうどよい。

またおなかが痛くて目が覚めてしまって眠れない夜にも良い。本を読むといったコンテンツを消化するようなことが体の痛みのためにできないときは、音楽ゲームに限る。

そうじゃなくても十分、音楽は楽しい。

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January 09, 2009

真っ白の結末

ああああああ

歯医者の日だった

忘れてた・・・・・・・・


ぶっちしたの何回目だ?もう数えきれない・・・・・・・・・・・

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January 08, 2009

真っ白の正体

最近のブログのトーンが暗いかもしれないと思って前のブログを読み返したりしていたらもうこんな時間に。

最近、このままでは何か足りない、何か不満だ、何かが決定的に駄目だと思っていた。それで、改善のために、人と出会いたい、ひとりでものを考えたい、たくさん休みがほしい、真っ白になる時間がほしい、と思い続けていた。

連続してブログを書いてみて、で、前のものを読んで、仕事関係の話はつまんないなあと思ったりして、本当はちょっとおなかもすいていたし、風呂にも入りたいのに、寝なくてはいけない時間を過ぎていたりして、気づいた。

私が求めていた真っ白とは、これだと。

時間を忘れ、自分が何をすべきかを忘れ、寝食を忘れて没頭することが、真っ白ということなのだ。


大人になると真っ白になりづらくなる。生活や健康のためには寝食を忘れてはいけないので、常に寝食のことを考えている。思えば会社で何か作業をしているときも、時間や予定を気にしている。何時だからこれをして、あと二時間で帰ろう、とか。明日も朝早いから何時には寝よう、そのためには夕飯を何時にしよう、とか。


で、今。
明日は雪だから絶対に電車に乗りたい。早起きしなければならない。なのに、すっかりそんなことはどうでもよくなっていた、というか考えもしなかった。のどが渇いていてお茶をいれたことも忘れていた。おなかがすいたことも気にならなくなっていた。


そうでなくてはならない、と思った。そうこなくっちゃ。
計画的にそんなことができるわけはない。真っ白は、絵を描いたり、文を書いたり、たくさんそういうことをしていて、あるとき突然やってくる。入り込む、世界が飛ぶ、自分が息をしていることを忘れる、どんな姿勢でいるかを忘れる、いま何を考えているかを意識できなくなる。
我に返ると、うわあこんな時間やっちまった、おなかすいたしもう動く気力がない、と非社会人的な状態になっているのだが、それでも、そういう時間が過ごせたことは悪いことではないような気がする、というか、どちらかといえば幸せな部類とすら言えそうだ。


そうか、ずっとこういうトランス状態になっていなかったのか。


しかしながらやっぱり明日は雪で早起きしなくてはならない。そろそろ戻ることを自分に許そう、というか戻って来い私、冷めたお茶飲んで風呂って寝る準備して寝れ。空腹は気にしない方向で。

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いなくなる人々に積み重なる悲しい気持ち

私はすでに大切な友人を会社から失う経験をしてしまった。


友人なら、組織の枠を越えてつきあい続ければ良い。もちろんそのとおりだ。たまたま会社関係で出会っただけで、気が合うということと会社は全く関係がない。もしかしたら細々とつながっていけるかもしれない。でも、会社にはもう、その人はいない。関係性も、どうしても以前とは違ってしまう。


昔、女性は入社1年から3年くらいであっさりと寿退社をしたものである。いまでもきっと、そういう場所ではそういう風習が続いていて、若い女性はあっさりと寿退社をするのだろう。周りの女性の同僚が辞めていくのを見て、他の女性社員もはやく同じように辞めたいと思うのだろう。
なぜそんなふうに、すぐに退社したくなるのかをしばし考えたことがある。そもそも仕事にあまり興味がないからか、自身が仕事に価値を見出していないからか、個人に特化した特殊な仕事をしていないからだろう、と考えた。天秤にかけてあっさりと捨てられる程度のものであることが理由だと思ったのである。
しかし最近は、別の考えが加わった。周りの人がたくさんいなくなるということの影響が大きいためではないだろうか。


組織に残される人は、いかに大切な友人であれ同僚であれ、個人がいなくなったところで、別になんら変わらず、日々同じように仕事をして過ごす。ちょっとさみしい気持ちがあるにせよ、関係なく、以前と同じ日々を繰り返す。別に同じ仕事をしていたわけではないので、その人のぶんの仕事が回ってくるとかそういったことはない。そもそも近くにいたわけではないので、視界に変化はなく、ただ広報に退社の知らせが出ているのをながめ、名簿から存在が削除されているのを確かめるだけだったりする。
しかし案外、ダメージはあるのだ。思い返せば素敵な出会いだった、とか、面白いやつだった、とか、いままで全然仕事で関わることはなかったけれど、いつか、顔を合わせることくらいはあったかもしれない、一緒に仕事をすることができたかもしれない、とか、これでもう二度と会わないかもしれない、とか、簡単にいくつもの思いが出てきてしまう。

一人、また一人といなくなるたびに、そういうことがたくさん続くと、きっと目に見えない何かが積み重なっていってしまうのではないだろうか。「もうここにはなにもない」と思わせる何かが。


もしかしたら友人の訃報をたびたび聞く老人にも、同じような積み重ねがあるかもしれない。


その積み重ねに負けないためには、失う人々以上に、新しい人々を積み重ねていかないといけない。「ここ」と自分をつなぎとめる何かがなければ、「ここ」にいる意味はなくなるだろう。それが人々かどうかは人それぞれなのかもしれないが、失ったのが人々である以上、やはり人々が必要なのではないだろうか。――特に女性には。


すでに何人もいなくなった。
さあさあ、積み重ねないと。

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真っ白

あああもういやだなにもしたくないよう。

というのの原因は、たいてい徒労感にある。
ああ、自分のために時間を割いたのに、まったくもって無駄ばっかり、悲しい一日だったなあ。ううう。しくしくしく。

最近は悲しいことばかりだ。先日などはSサイズだからいけるはずだって試着しないで買ったスカートが大きかったり。だからさ、カジュアル屋さんでスカート買っちゃいけないんだってば、ねえ、前もそうだったでしょ、何回やったらわかるの。だって地方都市ってカジュアル屋さんばっかりなんだもん、同じところで買ったパンツはサイズ小さめだったんだもん、そもそも生活圏内ではあまり種類が選べないんだもん、スカート欲しかったんだもん。だからサイズが必要な靴とかスカートとかジーンズとかコートとかは都会で買うって決めたじゃん。だって、セール時期は都会疲れるんだもん、手近なところですませたくなっちゃったんだもん。だからセールで買っちゃいけないのよ。うううう。


ああ、もうさあ、一週間の冬休みとかじゃなくて、もっともっとびっくりするほど長い長い時間が欲しいけど、もうずっとこれから何年も、得られないのかなあ。大人って大変だ。
もっと小刻みにいろんな過ごし方ができたらいいのに。たまに会社員、たまに学生、たまに無職、たまに家族持ち、たまにひとりきり、たまに旅人。


みんな、隣にいる人のこと、隣にある世界を知らなすぎる。それで満足なのだろうか。私はどうしても、ひとつのことに没頭できない。一人は一人分しか生きれないし、そんなに無理をするのも大変だからたくさんのことはできないけれど、それでもいろいろな世界があってよいではないか。


興味を持ったり、考えたり、逆に真っ白になったりする時間をとって、ゆっくり確かめながら過ごしたい。とりあえず一週間の冬休みくらいじゃ、やらなきゃいけないこともいろいろあって、真っ白にはなれない。もっともっと真っ白になりたい。

それくらいたくさん時間があって、時間的に体力的にいろんな意味で余裕があれば、都会で冷静にお買い物ができるはずさ。←結局それか。

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January 06, 2009

停止する不自然

宙空で停止しているものを見ると不思議な感じがする。で、きっと停止しているわけではないのだろう、緩やかに落下しているか前進しているかに違いない、と感覚は無理矢理に決めつける。


映画やアニメでは、怪我人や遭難者を回収するため、または怪盗がまたなとっつあんと言って逃亡するため、ヘリコプターは一時宙空に停止する。
あれは本当なのだろうか?何と何が釣り合って宙空に停止するのだろうか?んー、不思議。だって飛行機は停止しないでしょう?鳥も停止しないよね。ああ、熱気球は停止できそう!

運動する羽の揚力の効果と、宙空での停止が、同時に成り立つのがなんだか難しそうに見えるのだ。

ヘリコプターのラジコンがほしい、というひとことを耳にして、そんなことを思った。
ラジコンが操作できれば、手軽に宙空に停止する姿を見ることができる。素晴らしい!

しかし停止させるようなオペレーションが自分にできるような気はまったくしない。
得意な人におまかせ!ということで、友人や家族に理系男子はあらまほしきものである。

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January 05, 2009

駅伝を熱く語ろう

プロスポーツというものにはとんと興味がないのだが、素人くさい泥臭い物語はたまに好きだ。それが、高校野球と駅伝である。

友達と会った時に駅伝について大いに盛り上がってしまった。かように、駅伝は人の心にしみいるものである。
私はまだ読んでいないが、箱根駅伝が舞台の小説、三浦しをん「風が強く吹いている」をぜひ読んでみたいものである。

しかしながら、三浦しをんだ。BL好き腐女子系作家の視点に共感するようでは、自分自身の行く末が心配である。

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時間デフラグ

できるだけ書こうと思ったはいいが、やはり仕事が始まると体力的に難しい。ほかのことを少しやりたいと思いながら8時間仕事をするのは大変だ。
朝の通勤は電車に乗ると1時間15分かかる。
8時間の労働時間のほか、昼の休み時間やらバスの待ち時間やらなにやらを入れると、9時間半くらいは会社で過ごす。
帰りの通勤は電車に乗ると1時間半~2時間くらいかかる。
ほかに、生活に必要な時間もけっこうある。さらに、きちきちと行動できるわけではないので、各行動のあいだにはそれなりに休みが必要だ。

こう考えて、帰宅してから再び一時間くらいすっきりと気分の良い状態でいるのは(そういうふうに文章を書きたい)、やはり体力のない私にはちょっと無理があるなあと思う。
個人的に、自己中心的な視点で価値を考えると、削減したいのは仕事の時間である(ぇ)。どうせ昼食後の2時間くらいは眠くて仕事にならないし、気分転換につきあってくれるような会話仲間もいないんだから、昼食後の2時間をすっかり家でひとりでのんびりする時間にまわしたいくらいだ。


ああ、今日も、くた・・・。

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January 04, 2009

なにもなくても書く

書くネタはあるのか?書き続けられるのか?
ブログを始めようとするときに、必ずそう思うだろう。
よく旅行をする、とか、趣味が多い、とか、何かの専門家である、とか、なにかしらイベントが多い生活を送っていると、ネタが多くてぶれが少ないブログができるに違いない。

とはいえ、別にネタが多い生活ではなくても、書いてみればよいと思う。

最近更新が多くて相当暇なんだな、と言われたりもしたが、暇じゃなくても、ネタがなくても、書く気が起きなくても、できれば(という言い方に私の甘さがある)書こうかと思う。

書くネタがなく、書く気も起きない、そんなときに自分が何を書くか、ちょっとおもしろそうではないか。
自分自身もまた、いや、自分自身こそが、興味深い観察対象である。


そういうわけで、09年もえんえんとこんな文章が日々続いていくと思います。
たまに、見ている、とか、おもしろかった、とか、ほんの少し言われるだけで、燃料がチャージされてまたしばらく続くのです。
09年もよろしく。

エビオス!

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January 03, 2009

セールに弱いのだった

ああ、Mサイズなら、セール品買いたい放題なのになあ。

世の中からあっさりとSサイズが売り切れる。
Sサイズのスカート、Sサイズのパンツ、Sサイズの靴、どれもこれも、あっさりと姿を消す。こんなにもすぐにいなくなるのなら、もっと大量に作成してはいかがだろうか。それともやはりSサイズはニッチなのだろうか。

ニッチなものはニッチに作成されてニッチに消費されて、その結果大量なものよりも早く姿を消すだろうか?納得がいかない。種類はひとつに統一しておいたほうが、生産しやすいということはわかる。あまり多種展開したくないこともわかる。しかしあれば売れるのだから作ればよいのではないか?そうでもないのかなー。

ちなみに、田舎にSサイズが見当たらないからといって、都会に行ったとしても、渋谷のような大都会のわりに店舗が小さい都市だと、扱ってはいるもののいつも売り切れていて結局なかったりする。店舗が大きい都会がたぶん正解、と、思っている。

だからさ、たいてい、衝動的に「サイズ買い」しちゃうんだよねえ。なかなか出会えないから。

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January 02, 2009

稜線

冷たくすきとおった晴れの日には、解像度が高くなったように遠くの山肌が細かに見える。近くの茶色い裸の木々はいくつもの枝へとフラクタルに伸びていき、その最後の先端の向こう側にはこんもりとした形の森を配しながらなだらかに傾斜した丘があり、左手にも右手にも丘の向こうにはまた丘があってそれがどうやら左右の山脈を形作っており、その山脈は向こうがわにより青白い別の山脈を隠しており、さらにその向こうにもより青白い山脈がこっそり隠れていてそれぞれがほんのすこしづつこちらに顔をのぞかせている。
より青白くなった山脈のグラデーションをたどるとその向こうに山よりもほの白い遠くの山脈がこちらを向いていて、彼らの守るその背には彼らの二倍はあろうかという大きな富士が、青さと白さのグラデーションの法則を突然無視するようにくっきりとまばゆくそびえたっている。
しばらくは左右に迫る斜面とたまに遠くに見える遠近法を無視した有機EL表示の富士を目指して進むのだが、あるとき視界がさっと開ける。左手は一続きの斜面になり、その斜面にそって家々があり、集落があり、裸の木々の森があり、山肌があり、稜線がある。青い空に切り離されるまで、ゆるゆると、そして徐々にけわしく地が続いており、なまめかしく筋を作る斜面のつなぎ目の上方は茶色い下地の上にやわらかくふるいでかけた砂糖のような白粉がかかっており、境界線の向こう側にある作り物のように青すぎる青い空では表現しえない冷たく澄んだ空気が視覚的に通知されて私は身震いをする。


冬のある日、そんな景色を見て私は思う。
カレンダーのような景色だ。

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