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July 2009

July 31, 2009

スーパー保育園って

子供たちがとんでもなくデキル子になるスーパー保育園というものがあるそうです。
とびばこもばんばん飛んじゃうし、バック転だってしちゃうし、絶対音感もばりばりよ!みたいな。
数メートルの高さの崖から池に飛び降りるよ!当然ひとりずつやって、みんなができるまで終わらないよ!さあ君も勇気を出して!
いやあ、元気なのは良いことだねハハハハハ・・・・

その、みんなができるまで終わらない、って雰囲気には、なんだかいやーーな記憶がよみがえりそうになる。

保育園、というか幼稚園、だとか、小学校のようなところでは、私はついつい落ちこぼれてしまうので、そういう強そうな教育は自分だとするとちょっとねえ・・・と思ってしまう。

初等教育とはいえ、人に得意不得意があることを許してあげていいではないか、と。
得意なことはどんどん伸ばして、不得意なところは、まあ本人が社会生活でものすごく困らない程度のレベルをクリアするってゆうくらいで、ね、どうでしょうか。。。

しかし、最近子供を保育園に預けて仕事に来ている女性の話を聞くと、保育園って一日のうちわりと長い時間滞在し、けっこうきわどいいろんなことをこなすところらしい。たくましくなるよ、とのことである。
・・・保育園怖いなあ。

ここでひとつ、仮説がある。対外インターフェースの強靭さは保育園育ちによるものではないだろうか。

いっぽう脆弱な私は、日がな一日、ぼーっとすることを好んでいた気がする。
いつのものかわからないが、たとえば私がパンダだったらどうだろうか、と埒も無いことを真剣に考えていた記憶がある。
埒も無く考えること、妄想することを好む点では、まったくもって、今も昔も性質は変わらない。この脆弱さをもユニークの一種と捕らえれば、ことさら弊害ばかりでもないのではないか?いや、弊害を助長しているか。

ということで、スーパー保育園って怖そうよねブルブルという話でした。

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July 28, 2009

ひとり私だけが、という思い込み

「お仕事慣れましたか?」
別の場所から最近来た女性に聞いてみた。
「仕事はやればいいからいいんですけど・・・雰囲気が慣れないです。ちがう課題をやっている人たちとは話題が無くて全然話したことの無い人ばかりで」

へええ、と思った。
ここの雰囲気に慣れないと思うのは、私だけではなかったのか。私だけだと思っていたが。

自分ひとりなら、公共の利益のためにおとなしくつつましく我慢していればいいのだが、そうでもないなら、もうちょっと波風を立てても良いかもしれないなあ。

お通夜みたいな食事タイムとか、大声で話すと怒られそうな室内とか。
変えにくい構造ではあるが、ちょっと独自の計画を立ててもいいかもしれない。

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July 27, 2009

うちの妻ってどうでしょう

というタイトルのマンガがある。
妻の生態系を3コマとか7コマくらいのマンガにしているものである。4コマじゃないところがなんだかすごい。

夫婦の生態系をマンガにしたものはわりと多い。
ダーリンは外国人の系統とか、破でおなじみのアンノアンノの監督不行届とか。あ、これらはちょっと特殊か。

こういうのって昔からあるっけ?私の中では、ここ数年のあいだ流行しているという感覚である。
もっとも、夫婦ネタや家族ネタというのはそれだけでゆるーくおもしろいものである、ということなのかもしれない。

ちょっと特殊な私の家族など、いくらでもネタがありすぎて逆に語りきれないしね。。。

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July 26, 2009

破 見た。

ネタバレを恐れ、感想は述べない。

当の自分自身は、雑誌CUTでけっこう事前にインプットされちゃったわけですが。

次回もサービスサービス♪

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July 25, 2009

新生活エヴァンゲリオン

タイトルは、なんとなくゆってみただけ。

とりあえず、隣の県に越してみて、良いことをひとつ発見した。

燃えるごみの範囲がおそろしく広いのだ。

もちろん紙や生ごみは燃えるが、それだけではない、ビニール系、発泡スチロール、プラスチックのおもちゃ、靴、鞄など、水洗いの有無にまったくかかわらず、とにかくたいていのものはすべて燃えるのだ。

燃えないごみに含まれるのは、たとえば炊飯器などである(!)

こういう地域にある会社だと、会社の掃除も簡単だろうなあ。正直会社ではちょっと間違えるとなんやかんや言われるのでごみを捨てたくない。ごみ捨て分裂恐怖症なのだ。やれやれ。

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桃の季節

韮崎ICから甲府方面への道のりにあるのは、広域農道という道だ。
で、この道を通ると、最近は美味しそうなのである。

桃だ。

山梨は小さな県で、その中央にある甲府盆地は、こちらの山から向こうの山まで、ざっくりと裸眼で一望できる程度のリーズナブルな広さである。
3月の半ばくらいに少し小高いところから甲府盆地を見下ろすと、盆地のかなりの割合がピンク色に染まっている。桃の花の絨毯である。

桃の実の季節は7月8月で、これは高いところから見下ろしてもよくわからない(当然だ)。が、たとえば桃畑の隣を通る道を走っていると、白い紙でつけられた傘の下で、丸々と桃色の実が成っているのが見える。

桃だ。

桃ってなぜだかちょっとエロチックだ。
メロン畑桃子とは、なかなかダイナミックな名前である。さすが片山まさゆき。

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July 22, 2009

日蝕

見てないけど、本日は日本で皆既日食が観察される日であった。

日蝕といえば、平野啓一郎である。

この日食フィーバーに、彼の著書「日蝕」を思い出す。
アンドロギュノスや錬金術師といった怪しげな面々と天変地異を連想する。
そう、今日は天変地異の日だったのだ。

昼なのに、夜のような暗闇が訪れる。
そして闇があけ、再び光に包まれる。

あっさりと日食の時間を会社のディスプレイの前で過ごしたあとで、日食を体験してみたいなあっと、遅ればせながら気になったわけである。


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July 20, 2009

成人35歳

29歳で小説を書き始めた村上春樹の説は、30歳成人説である。(と思ったら、いろいろほかにもあるっぽい。)
生き方とか本当にやるべきこととかはそう簡単に決まらない、ってことで。

同じ仕事関連だと、ほかにも「30歳までは男性は子供だから」なんていうふうにも言われる。
最近では、男性は30代前半はまだまだ若造で、35歳あたりからが一人前(?)な気もするのだが。

この30歳成人説はそこそこ感覚的にしっくりくるものである。とりあえず、20歳で成人ってわけじゃないぞ、っていう意味で。女子30歳、男子35歳でもいいくらいだ。男女差があってしまうのは、残念ながら、社会的・生物的な風潮と制限によるものである。あと、私の感覚の狭小さによるものである。昔のキャリアウーマンみたいな女性を周囲に見たことがないので、男子と同様の年齢感覚を女子に展開できないためだ。実に残念であるが。たぶん都会なら違うんだろうな。

というわけで、20代は未成年である。

未成年。

いい響きだ!

これは願望だけど、35歳くらいの人は、それなりに仕事や役割や生き方にこだわりを持っていてほしい。
別に仕事じゃなくてもいいんだけど。
子供から見た戦隊モノのヒーローのお兄さんが18~25歳くらい(そうではないのもあるけど)なのと同じように、年下から見た、若めの生き生きした大人の代表って、35歳くらいなはずである。
35歳が生き生きとかっこよければ、世の中はとってもすばらしくみえるのだ!

と、未成年としては、他人事として勝手に期待するわけである。
がんばれ35歳。

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July 19, 2009

大きな枠組みと私たち

老化というのは、硬くなることだ、と解釈している。

体が硬くなり、動きにくくなる。皮膚が硬くなり、変化が少なくなる。
同じように、思考も硬くなる。

もっとも、体の硬さは人それぞれで、同じく思考の硬さも人それぞれだ。特に思考については環境による要因も大きく、最初から硬直している人もいる。

では、思考の柔軟とはなんだろう。

それは知るということではないだろうか。
一つの論に対して、例外を知る。一つの論に対して、もっと遠くに引いた目線からの論の位置づけを知る。それにより、論の自由度を増すことができるのではないだろうか。

本来そういう柔軟を多くの人々に広く等しく与えるのが、教育というものではないだろうか。

いわゆる義務教育のような、大きな枠組みによるある程度の教育というのは、「硬める」イメージがなぜかついてまわるが、しかしもともと柔軟の方法の一種であるはずだと思う。

そういうわけで、たぶん、教育という大きな枠組みは、私たちに思考の柔軟という効果を与える。

ほんとうはほかにもいろんな大きな枠組みが、私たちにいろいろなものをそれぞれ与えているはずだ。インフラの確立、安全整備、経済の操作。などなど。
どうも実感がわかないけれど、きっと政治はいろいろな方法で、私たちを柔軟にするものであるはずだ。老化し硬直しないよう、活性させ、動かし続け、若返らせ続ける。
実際に、気づかないうちに、見えない大きな枠組みが、何らかの形で、私たちを柔軟にしているはずだ。

そういう感じで、どうにかうまいこと、政治の効果を見せてくれないものだろうか。

あげあしとりとか、ボスの無能さとか、決断力の無さとか、選挙とか、政党とか、そういう話だけではなく、じゃあそもそもいったい政治家ってどんな仕事をしているのか、ストレートに誰か語ってくれないものだろうか。

マスコミというのは、その存在自体が政治批判の役割を担っているからだろうか、どうにも、本当に知るべき物語を語ってはくれないようだ。

政治に関する話題を口にするとき、誰もが磁場から自由ではいられない。なにかしらの色眼鏡が必ずついてまわる。でも、その色眼鏡が知りたいわけではないのだ。
なんだか量子力学のような無理を抱えているようである。誰もが系に含まれるとき、観察者の言葉をどうやって聴くことができるだろう。
系の中で、たくさんのうさんくさいデータを取って、系の中の仕組みで近似っぽい予想を作り上げるくらいが、せいぜいなんだろうな。

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July 17, 2009

引越しといえばどうぶつの森

いろいろ片付けなきゃいけないんだけど、大きなお片付けって苦手だ~。

3年弱くらいお世話になったのかな、愛着のある部屋なので、がらんとしてくると一抹の寂しさも感じそうです。
入社してから引越しは三回目で、毎回少しは寂しい気分になるわけですが。
あ、二回目はそうでもないなー。引越しに遅刻したし。周囲に友人もいなかったのでたいして愛着もなかったし。

ところで引越しからすぐに連想するのは、どうぶつの森です。
毎日話しかけて、仲良くなったどうぶつのお友達の家をいつものように訪ねると、いつもの見慣れた彼女の部屋が、ダンボールだらけになっているのです。
ショックを受け、あわてて引き止める私。

そんなふうに移転前に会えればまだ良いのですが、気づかないうちにいなくなっていることもあります。
当時、お気に入りだったメリヤスさんがいなくなったときは、衝撃的に悲しかったです。

しかしながら、彼女はなんと、リアルな友人の村に引っ越していたのです。これにはびっくりしました。

私の村からはいなくなってしまったけど、彼女は消えてしまったわけじゃない。今日も彼女はにこやかに、散歩をしたり、家具をそろえたり、ぱああと花を背景に咲かせたりしながら、生きているんだ。

単なるゲームシステムなんだけど、えらく驚いた&喜んだことを覚えています。


それはたしか3、4年前のこと。
それから数年・・・すっかりどうぶつの森からは遠ざかったわけですが、あれはあれで、すごいゲームだったなあ。
iPhoneなどのガジェットも生活スタイルを変えるものだと思いますが、あのときはどうぶつの森で、生活スタイルが作られておりました。

まあ、単にリアルが相当ロンリーだった、ってことですけどね・・・。

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July 16, 2009

今年は暑いよ

すごい!
わりと暑い!

びっくりだ、こんなところにも、夏がちゃんと来るなんて!

例年は夏ってあるんだかないんだか、あっても二週間くらい、というイメージだった。

しかし、今年は、早くも暑い!
ここ二週間くらい暑い!

お盆までとしても、暑い期間が、なんと一ヶ月以上あるじゃないか。

すごいなー。
夜になってもひんやりしない。
洋服があってもなくても健康度的に同じ感じ。
すごいなー。
せっかく貴重な夏なので、引越してしまうのがちょっと残念だ。

暑いなー。
すごいなー。

風呂上りに扇風機占領!
もう離さないとばかりに扇風機と見詰め合うのだ。これが一人暮らしクオリティ!
ついでに髪も乾くしね、ぼたぼた(水滴)

夏みたいだー

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July 13, 2009

ストローの内側

ちょっと前からたまに考えてること。答えは不明。


とても細いストローがあるとする。
効力ありそうで高価で小さな栄養ドリンクについてくるような、とても細いやつ。内径2ミリとかで、長さは5センチくらいありそう。

いま、一度は液体を通したため濡れているこのストローの内側を乾かしたい。
ぷしゅーって風を吹き付けられるような道具があるとする。


さて、普通、どんなふうに乾かそうとするだろう?そしてそれはどうしてだろう?


ストローにまっすぐに風をあててみる?
斜めに入り込むように風をあててみる?
ストローの口の近くからあててみる?
数センチ離してあててみる?
ストローの反対側を指でちょっぴり抑えてみる?

んん、ぷしゅーってやつが二つあればより良い気もするんだけどねえ。


あなたならどうするかな?

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July 11, 2009

引越し準備は進まず

やらなければいけないことを置いておいて、今しか書けないことを書いてみる。

この場所にいた日々は、実に濃厚な時代だった。
自身の考え方に、行動に、影響を与えるような重要な出会いが多かった。
苦しかったような、楽しかったような、孤独だったような、仲間が多かったような。
思い返していろんな意味で胸がつまるというのは、やっぱこれって、青春ってやつじゃねーのか。とか。

私がいなくなることを寂しがってくれる人に、私は返す言葉が思いつかなくて、いつも口をつぐんでしまう。
いままでありがとうとか、そうゆうきな臭い言葉は、リアルではうまく言えないのだ。ほんとにお別れみたいになっちゃうから。

たしかにちょっと転居するし、100キロくらい位置は移動するし、終電を気にしないで飲んだりとか、気軽にその場のノリでちょこちょこ遊んだりはできなくなる。
でもお別れするつもりはないのだ!
変だよねえ。変だけど。現実の事象と矛盾しているけど、誰ともお別れするつもりはなくて、言葉が見つからない。

ともあれ、後ろ髪を引かれるという事象は、実に、すばらしいことである。
小さいころ、これといって好きなものや執着するものがなかった私に、よく、こうも後ろ髪をひかせることができたものだ。敵ながらあっぱれ。と思いたい。

学生時代やいままでは、卒業や研修終了のタイミングで、みんなで一緒に、区切りをつけて移動したものである。
一人で決めて、一人で移動する、というのは初めてだ。
慣性の法則に抗うのは、けっこう摩擦係数が多くてエネルギーが必要なんだなあ。

とにかく、こりゃあ幸せだってことさ。
そして当然、今後もハッピーに!
どこに行っても、いつになっても、なにかすばらしいことがある。
素敵なことは増える一方なのさ。

だから、いつでも、何年、何十年先でも、時間と空間を飛び越えて、また会える。
そんでたぶん、いつでもぜんぜん変わらない感に、どこにいたって時空を超越してここに戻る。

だからお別れとかは、存在しないのさ。

・・・引越しに遅刻しないよう、ちゃんと準備しないとなあ・・・あー、引越し苦手。

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警察の聞き込み

市内で強盗事件があり、近所の防犯カメラにそれっぽい人がうつっていたらしい。近所なので聞き込みをされた。

ちょうど荷物集配の人がくるはずの時間だったので、それかと思ったら警察の人だった。つい聞き込みをされてしまった。

一見警察に見えない、たぶん年下、若くてかわいらしい男性で、警察関係というよりは、人が良くてあまり押し売りできない営業さん(新人)にみえる。
提示された警察手帳をまじまじ見る。んー、たしかに警察って書いてあるけど、本物を見たことないから、これが偽者かどうかなんて判断つかないなあ。しかし、警察って二人一組かと思っていた。

世間話のように事件の話を聞いているうちに(やれやれ、私も人がよい)、予約していた荷物集配のおじさんが階段を上がって来る。
「あ、きちゃった」
「え?」
「ちょっとすいません・・・。すいませーーん、こちらですー」
警察のおにいさんを待たせる形で、おじさんを呼び寄せる。
警察のおにいさんを玄関横に置いておいて、今度はおじさんと玄関先であれこれやり取りをし、前日までに格闘して梱包しておいたダンボールを見せ、伝票の1/3を切り取って貼ってもらう。
ひとつをおじさんが階下へ持っていったので、もうひとつのダンボールをよっこいしょと持ち上げて玄関を出てみると、警察のおにいさんがドアを支えていてくれたみたいだ。
「すみませんねえ」
「いえ、僕、もって行きましょうか」
警察のかわいいおにいさんが言うので、それはちょっと人が良すぎるのでは、と思ってけん制する。
「いいええ、お仕事してくださいな」
すると、なぜかダンボールを持った状態のまま、また聞き込みが始まる。
「かなり特徴のある犯人ですので、見かけたらご連絡をいただきたいのですが」
「はあ」
と、おじさんが戻ってくる。
「やあ、すみませんねえ!」
と私からダンボールを取り上げる。もとの伝票の2/3の部分にサインを書いて私に渡す。
「じゃどうも!」

警察ってずいぶん個人情報聞くんだなあ、しかもA4のノートに手書き。大変だなあ。と私がいぶかしみながらおにいさんと対峙していると、また戻ってくる。
「すいません、うちで控えにするところがないんですけど、さっきの伝票ありますか」
2/3の伝票を隅々まで見る。
「ここんところにはお客様控えって書いてあるから、この部分は違いますよね」
「そうですね」
「じゃあこっちの部分かなあ。控えって書いてないけど」
「うーん・・・」
なぜか私と集荷のおじさんと警察のおにいさんの3人で伝票をまじまじと見ながら頭を悩ませているのである。
なんだかアンジャッシュかなんかのコントみたいだ。こういう不思議なシチュエーションってあるんだねえ。
「・・・とりあえず、ここの部分を持っていきます」
と言って、おじさんは2/3の半分を切り取って持っていった。
「お邪魔しました!」
と遠ざかるおじさんを二人で見送りながら
「大丈夫かなあ・・・」
「僕もわからないです・・・」
とつぶやいたのである。


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July 02, 2009

誘導と平和

「こうしたら、どうなるのでしょうね?」
「もしかしたら、こうゆうことかもしれませんね!」
「難しいですねえ」
「でもでも、がんばってこれがわかったら、みんなとってもうれしいかもしれませんよ!」

年下的アプローチによる誘導である。
言ってしまった。これは誘導だ。
基本的には自分の疑問や感想を口にしているだけで、決して積極的に提案しているわけではない。断じてない。
しかし本当は、これを誘導というんだろう。

……ぐったり。

ああ、なんか、やる気のない生徒の機嫌を取りながら個人指導するときを思い出した。

……なんたる上から目線=私。


かといって、男性同士みたいにギスギスしあう必要はないのだ。

対立している男性たちって正直めんどくさい。
会話を開始する前からバリバリに負のオーラ。
第三者としてどちらかに理解を示せば、そちらが調子に乗って、ますます対立しあったりする。めんどくさすぎて、手を出したくない。

悪意のない普通のコミュニケーションって、対立するとそんなにも取れないものなのだろうか。そうゆう負の連鎖に、なにか個人的メリットでもあるのだろうか。

どちらかといえば対立したり悪意を出すことが苦手な私には、いまいち理解できないのである。
だからといって誘導ばかりを続けるのが正解かというと疑問ではあるな。

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永年勤続にウンザリするとき

クラスメートに超気があう仲良しができれば超ラッキー。でもできなくてもまあそういうこともあるもんだということで、なにもクラスメートにすべての望みを託す必要はない。ほんとは。

小中高生のような小さな世界に閉じ込められている場合にはそうもいかなくてクラスメートくらいしか出会いがなかったりするしその中で適当にアイデンティティを構築しないと白い目で見られたりしなくもない。
適当にアイデンティティを構築しつつもやっぱりクラスメートにはいまいち望みがなかったりする場合は、クラス替えとか、卒業とか、クラスメートの変化とかを長い目で見る。3年くらいすれば何か変わる。次にいける。

大学生以降になると、閉じた系の中に出会いがなくても、きっとあの人は外に出会いがあるんだろうな的な許容のされ方をすることができるので、ほんとうは外に出会いがない場合でも、たいして肩身を狭くする必要はない。
実際大学内、クラス内、サークル内、バイト内だけに望みを託す必要はない。といっても出会いが無限にあるとも思わないけど、少なくともクラス、サークル、バイト、とか複数の重ならないカテゴリを持つこともできるわけだし、さらに、地元やら先輩後輩やら研究室やらもあるし、さらにさらに、人によって生活スタイルはさまざまで、もっともっと定義不可能な関係性が許される。しがらみから少しだけ自由になる。

それが会社員になると、やれ同期だの、やれ職場だの、職場のある場所だの、なんとか係だの、そういうカテゴリが小中高的なほうに近くなる。気がする。
同じ職場、同じ場所、同じ係の同期の中に、超気が合う仲良しができればそりゃ超ラッキー。だが、もちろんそうはいかないことも当たり前で、それを当たり前として許容し、もっと自由になればいいと思う。別に同期とか同職場にいろいろ求めなくてもいいんじゃないの。

なんつーか、入社何十年もたつかなりお年のおじさまたちが「え、あの人とあの人って同期なのォ」みたいなの言われてるのってけっこうウンザリだ。同期だからなんだっつーの。
永年勤続ってソラオソロシイ。

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